平成21年12月下旬の記事
12月25日 政治家に道徳性を求めるのは、ある筈がない物を求めるようなもの、英語ではask for the moon と言うのだそうです。秘書が起訴されての記者会見での宇宙人首相に似つかわしい、「私は知らなかった」という弁明でした。今回の鳩山首相の場合は野党時代の献金問題への追求が激しかったので、ひょっとしたらご自分の場合は、自身の言葉を守るのではないかと思いましたが、そんなことはありませんでした。 首相の政治資金疑惑はこの6月に始まりました。それから半年、司直の手が入る前に金の動きがどうなっているのか、自身で全く調べようともしなかったのでしょうか。金庫を開ければ何時でもお金がある、そのお金が母親から出ていたのを何年も知らなかったとは、全く理解できません。 庶民は親子間の多少のお金のやり取りでも気をつかいます。110万円以上を贈与すれば税金の対象となり、例え110万円以下でも継続して贈与すればそれは合算されて税金を取られます。それが毎年1億円以上も贈与を受け、申告もしていなかったとは、記者会見の弁明で「私腹を肥やしたことはない」という言葉に反し、明らかな脱税でしょう。修正申告をすればOKと言うならば、贈与税の申告をする人は誰もいなくなります。 一国の総理にとって資質も指導力も大切ですが、その基になるのが信です。外交でも政治資金でも信を失った人が、「使命を果たす」と総理の座に居続けるのは日本にとって不幸なことと思います。 12月24日 今朝の産経「正論」は加藤秀俊氏が江戸小話を例に引いて「ムダ」について書いています。文化芸術は実利主義では育たないという主張ですが、大いに同感するところがあります。今の政権の姿勢を究極すれば、年金生活者は社会の無駄の一つ、仕分けされても仕方ないと覚悟しなければなりません。文化事業への補助の切り捨ては、友愛精神とは全く反対の方向へ政治が梶を切っていると思えます。 ムダと言えば、ハンドルの遊びが頭に浮かびます。梶を切るということにおいては、全く無駄なことですが、遊びがなければ巧みなハンドルさばきはできません。機械装置には遊びがあるように、人間社会にも遊び(ムダ)がなければ無味乾燥の世界となってしまうでしょう。 無駄の反対語は必要です。宮沢賢治の詩「雨にも負けず」に「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ・・」というのがありますが、これは詩の中の食い物についての部分、それに加えて大切な精神生活が付随しているのです。 12月23日 今日は天皇誕生日、76歳におなりになった陛下に心からお祝いを申し上げます。 クリスマス前ということで、昨夜は上野の東京文化会館で行われたチャリティーコンサート 第59回藝大「メサイア」を聞いてきました。芸大の毎年の恒例行事ですが、これが59回も続いているのはすごいことです。芸大の学生が主体と思われるコーラスは男声女声あわせて数百人、若い人達だけに澄みきった声は、古希過ぎの感慨でしょうか、最初の音を聞いただけで胸に迫るものがありました。これだけの規模のメサイアは余所で聞くことは難しいでしょう。 ヘンデルのオラトリオ「メサイア」は3部構成、それぞれの演奏に60分ほど掛かりますから、6時半に演奏が始まり、休憩を挟んで終了したのが9時半、3時間に及ぶ音楽会は聞く方もエネルギーが必要です。ネットで調べますと、日本でメサイア全曲の演奏会が40回以上も行われています。この曲の練習を考えると、費やす時間だけでも大変なもの、政治不信や不景気に沈む日本の現状ばかり気にしていると、日本のあちこちで大きなエネルギーが蓄えられ、発散している事を知らずにいてしまいます。 演奏を聞きながら、いろいろなことを考えが浮かびます。ヘンデルがこの曲を作曲したのは18世紀始めの頃です。当時の欧州は産業革命の前夜、ヘンデルが寄寓していた英国もスペインとの戦争、オーストリアの王位継承戦争にまで巻き込まれていた時ですから、この様な大曲をどのように演奏したのか、今の常識では想像が付きません。 演奏した芸大の学生たちも、一糸乱れない演奏振りで、ビブラートもあたかも一人で歌っているように見事に揃っています。今時の若人は個性尊重、人と合わせることは不得手と聞きますが、このような見事な演奏も出来るのです。日本の将来に一筋の光を見た様な気がする一夜でした。 12月22日 今朝の産経掲載桜井良子氏の「鳩山首相であり続ける意味なし」は強烈な鳩山批判であり、警鐘を鳴らすものです。桜井氏は、11月5日の衆議院予算委員会で稲田朋美議員が行った「「死を覚悟」してまで、日本列島は日本人だけのものではないという価値観を徹底させたい、「その先兵」になりたい」という鳩山首相の発言に対する追求を引用し、首相の思想の危険性を糾弾したものです。 他国のどの首相が「わが国はわが国のものだけではない」と言うでしょうか。鳩山首相の発言は、日本を他国にどうぞご自由にして下さいと言うに等しいもの、その上他国に差し出すための先兵になるという驚くべき発言でした。 同じく今朝の産経掲載の「ハロランの眼」は「対等な日米関係への10の提言」です。対等な関係を築くためには、現在米国が日本の利益のために担っている軍事的努力を日本自身が行わなければならないとし、憲法改正、防衛費のGDP比4%確保、兵力の人口比を米国並にするために自衛隊員を88万人に増員、日本からの米軍の追放、核の傘からの離脱等々の提言を挙げています。 対等な日米関係を築くためには、日本の体制を根本的に変えなければならないと言う率直な提言ですが、首相はどう見るのでしょうか。 桜井氏も上記の指摘に続けて、「日本から米軍の常駐をとり払って、それを日本の国益につなげていく道はただひとつしかない。憲法9条を改正し、自衛隊をまともな国軍とし、軍事力を現在の水準よりかなりの程度強化する。」と述べています。日米対等とは、このようにしなければ達成できないという識者二人の共通した見解です。 内閣は自衛官の増員を認めない決定をしました。桜井氏は「鳩山首相には、米軍を退けた後に生ずる空白を、自ら補う考えはないのである。」と指摘し、日米対等志向と現実の対応の矛盾を突いています。 今朝7時のニュースを見ていましたら、クリントン国務長官が日本の駐米大使を急遽呼び出して、普天間の早期解決を迫った模様と伝えています。国務長官が在米の大使を呼び出すなど極めて異例かつ緊迫した状況があるに違いありません。米国もいよいよ鳩山内閣にしびれを切らしました。 12月21日 日本列島が寒波に見舞われ、新潟では12月としては観測史上最深の積雪を観測したそうです。欧米でも寒波が襲い、COP15は北半球寒波を横目に見ながらの会議でした。 この寒波の中で元F1レーサーの片山右京氏が富士山で遭難、同行の二人が死亡しました。私も冬富士では苦い経験が二回ほどありました。防大4年の時、訓練で11月の富士に御殿場口から登り、コンディションに恵まれ登頂できました。山頂付近はアイスバーンでしたが、アイゼンがよく効き、風も富士山にしては微風だった記憶があります。 一晩テントで過ごし、翌日の下山で訓練のため下級生達のアイゼンを外させ、ザイルで結び合うパーティを何組か作って下山を始めました。歩き始めの時は雪は柔らかくアイゼンは不要だったのです。ところが、3合目付近からツルツルのアイスバーンになっており、先頭を歩いていた下級生のパーティがザイルにつながったままかなりの距離を滑落、沢のくぼみで辛うじて止まりました。一人が骨折したのですが、この程度で済んで幸いでした。下山途中の標高の低い場所がアイスバーンになっているとは想定外でしたので、雪質の変化を見通せなかった判断ミスでした。 もう一回は、やはり御殿場口からの富士山で、15年ほど前になりますか。防大の現役山岳部員達と訓練で登山、順調に訓練を終え、5合目付近でテント泊しましたが、夜中から強風が吹き始めました。何とか堪えて、翌早朝に気付きました。他のテントのポールが折れ、テントも破れていたのです。吹き飛ばされることこそありませんでしたが、今回の片山氏の遭難と同様な出来事でした。 富士山の強風では、テントの中の人間は重しにはなりません。ピッケル、アイゼンを使ってじっと耐風姿勢をとっていても吹き飛ばされることがあるのです。テントもよほどしっかりした固定物に結んでいないと飛ばされます。片山氏パーティの遭難は、その点に抜かりがあったのではないかと想像しています。 |