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カンボジア見聞録


                            H28.10.12
 新シリーズ
 カンボジア見聞録 26(隣国との国境)

                       カンボジア在住
                       柴田幹雄

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3 タイとの国境係争地 プレアビヒア寺院
 プレアビヒア寺院は北部国境のダンレク山脈の上、切り立った断崖ぎりぎりに位置するヒンドゥー教寺院である。場所はシエムリアップから北東へ直線距離約140km、車だと250km位走ることになる。この寺院は9世紀末にクメール人によって建立されたもので文化的にはカンボジアのものと言える。長年その領有権問題が懸案となっていたが、1962年国際司法裁判所によってカンボジア領として認められた。2008年にカンボジアが世界遺産登録を行ったがこれを契機にまた遺跡周辺の国境問題に火が付き、カンボジア、タイ両国の緊張が高まり銃撃戦まで発生した。寺院への徒歩観光ルートの出発点である頂上駐車場にはカンボジア旗と国連旗が掲揚されており、寺院そのものはカンボジア領で落ち着いているようだ。しかしふもとから上がっていく車両用の道路はGoogle Mapでは未確定(点線)ながらタイ領とされる場所を一部通過している。
 この寺院はダンレク山脈の南端であり、国境を山脈の分水嶺としたシャム(タイ)と仏領インドシナの宗主国フランスとの国境画定条約に基づきフランスが測量地図を作製し、1908年に公表、シャム側も受け入れた。この地図に拠ればプレアビヒアはカンボジア領になっている。ところが現地で見れば寺院の北側にある観光者用駐車場から寺院の本殿のある南側まで緩やかではあるが上りで階段などある。明らかに標高は南側が高くなっており分水嶺は寺院の南端の突端になる。シャムも1934年に独自調査をし、分水嶺と地図が一致していないことを確認したがあえて異を唱えなかった。
 歴史の項で述べたがタイは1940年のタイ・仏領インドシナ戦争でカンボジア側に侵攻した。日本が仲介し紛争は収まり東京条約を結んだがこの条約によりバッタンバン州など共にプレアビヒアもタイに割譲され寺院もタイ領になった。日本敗戦後の1946年ワシントン条約でバッタンバン州ほかの北部諸州を仏領インドシナに返還された。しかしプレアビヒア寺院は、地図上はカンボジア、分水嶺原則からはタイ側という状態になったが依然としてタイが実効支配していた。1953年カンボジアは独立すると、プレアビヒアに軍を出動させ奪回を図ったがタイ軍に撃退され、カンボジアとタイは国交断絶に至る。



                      つづく

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