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由良2佐の戦史記事


                           H26.08.19


歴史(戦史)への接し方-その4-歴史は世につれ、世は歴史につれ-


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 このようないろいろな経緯で残ってきた記録をもとに、状況によっては考古学的な成果も盛り込みながら、戦史(歴史)は書かれます。例えば最近有名になっている奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡で発掘された建物跡の研究から、遺跡にあった建物と伊勢神宮、出雲大社の両社殿との関連性が指摘されているそうです。研究が進むにつれ、従来の日本古代史の定説に大きな変化が現れるかもしれません。
 
   纒向勝山古墳(上)・矢塚古墳(下左)・石塚古墳(下右)、
   3古墳に囲まれて纒向小学校がある。

また、現在の大阪城は豊臣秀吉が築城したものではなく、秀吉の大阪城を陥落させた徳川家が城跡に盛り土をした上に、その威信をかけてゼロから再建したものです。最近大阪城周辺の発掘調査から、秀吉が築城した大坂城の遺構も発見されています。その成果は2016年に放送されるNHKの大河ドラマにも影響を与えるかもしれません。

 さらに、つい最近織田信長がその配下である明智光秀の謀反で亡くなった、「本能寺の変」に関係する記録文書が発見されたと、マスコミが報じていました。光秀は、四国の大名である長宗我部元親の織田家における交渉役を担当していました。しかしこの頃、信長は四国攻めを計画していました。この新発見の記録の内容では元親は、光秀に対して四国攻めを取りやめてくれないかとの申し出を行っていたようなのです。この申し出とその後の信長と光秀のやり取りが「本能寺の変」の要因になったのではないかとされているのです。日本ではこのような約450年前の記録がひょっこり出てくることもあるのです。
そのようにいろいろな方々の苦労の末残された記録を基に、これまた編纂者の苦労の末編まれる戦史や歴史ですが、その時代により注目されるところが異なります。「すべての歴史は現在史に通じる」という言葉がありますが、その時その時を生きる人々にとって注目する歴史は、その時々で異なって当然です。日本には『日本書紀』や『古事記』に代表される神話時代から説かれている歴史書から始まって、それこそいろいろな記録、日記等が残っています。しかし、現代の日本人にとっては、NHKの大河ドラマで取り上げられることが多く、現在を生きるに当たってより大きな教訓示唆が得られる戦国時代が、他の時代より身近で興味ある歴史かもしれません。その中でも、昔は人気があった豊臣秀吉よりも、現在は先ほど述べた「本能寺の変」で無念の死を遂げたとはいえ、新しい時代を拓いたとされる織田信長や、二百数十年の太平の世の礎を築いた徳川家康の人気が高いようです。
                          (続く)


          幹部学校戦史教官室 2等空佐 由良富士雄


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