以上を要約すると、日本人の死生観は
① 肉体的生命の存続を希求するもの(不老長寿への願い、医術・医療)
② 死後における生命の永続を信ずるもの(来世への願いと信仰、浄土・死者・祖先)
③ 自己の生命を、それに代わる限りなき生命に託するもの(生命連続への願い、子孫・事業・芸術)
④ 現実の生活の中に永遠の生命を感得するもの(今きり・これきりの生命感、生かされている実感)
というように分類される。しかし、現実の生活では必ずしも独立して存在するのではなく、それぞれが重なり合い、結び合っていると考えられる。今までの分析からこの分類に沿った日本古来の死生観を考察すると以下のようになる。
① 永遠の生命維持が、金銭や肉体の鍛錬などでは得られない。肉体の死は受け入れざるを得ないが、魂が別の世界で永続することは可能である。肉体は滅びても魂は、どこかで生き続ける。
肉体の死と同時に霊魂があの世に旅立つ、その行き着く先は、生前の行いによって定められ、あの世から現世の生者に、何らかの形で影響力を持つ。
② 魂は、死後、現世とは別の世界に行き、この世を去っても来世がある。
死者の肉体から魂が抜けて、あの世に行くには弔いの儀礼が必要である。それには死者の肉体と、弔いを行う子孫がいなければならない。遺体に対する葬送儀礼が終了しなければ、死者の霊は成仏できずにこの世で彷徨い続ける。
霊魂が生者に影響を及ぼすのは、残った者達が死者の記憶を何らかの形でもっている場合で、現世の何人も死者の記憶を失った後は、霊魂は、「宇宙」の中へ入って行き、次第に融けながら消えてゆく。このため、日本人は死に臨んで、残された人々に、より美しく、より清く記憶にとどめて貰えるよう死に方を整える。少なくとも、後ろ指を指されたり、属する社会に迷惑を掛けるような死に方は許されない。
人の死は、個人の問題ではなく、周囲の社会全般に影響する出来事であり、死にあたっては、家族に迷惑のかからぬよう社会に迷惑のかからぬような死に方が望まれる。
③ 死んだ後、魂は残された子孫の近くで、彼等の生活を見守る。子孫達が、手厚く死者を祀ってくれれば、霊魂もそれに応えて子孫の災いを防ごうとする。
魂は、子孫の記憶の中に生きており、その記憶にどう死者が映っているかで、魂の祀られ方が異なってくる。特に、死ぬときの姿の記憶が、最も鮮明なものである。死者との直接の記憶を持った人々がいなくなっても、死者の名が様々な形で伝えられることがある。伝聞であり、残した文書、作品を通じて死者は、生者の中に生き続ける。
死者の現世に遺したものが、立派であれば立派な人間として、醜ければ、そのような人間として生者の中に記憶される。
どこかで別の人間として生まれかわり、また人生を送るかも知れないが、もとの人間の意志は継続されて伝えられる。何度生まれ変わっても思いを遂げることはできる。