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【入間つばさ会 ハイキング部】
ハイキング部「国分寺及び西国分寺」
ハイキング部 部長 藤川壽夫
3月3日(火)のハイキングは、自然豊かな公園・国分寺崖線湧水及び湧水と史跡の街西国分寺を巡って参りました。
今年初めての15名という多人数で、予め用意していたコースマップが不足してしまいました。
国分寺駅スタートが0935、そこから姿見の池(姿見の池は、かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えていました。 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵野路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿
を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。恋ヶ窪という地名の由来の一つとも云われ、傾城・夙妻太夫が武将・畠山重忠を慕って 身を投げた池といわれています。「武蔵野夫人」(大岡昇平著)など文学作品にもよく登場する名所です。)を皮切りに西国分寺駅へ一直線!
簡易GPSに武蔵国分尼寺をセットしコースどおりに行くがコースマップと照らし合わせても回りの景色が少し違う・・・?!なんということか西国分寺駅から南下すべきコースを東に採って日本芸術高校に来てしまっていた! GPSはバッテリ切れて使用不能、何時も持ち歩くコンパスは自宅に置忘れ!
太陽が見えない曇天時の地図判読はコンパスが不可欠ということを再認識した次第!!
即、南にコースを取り武蔵国分尼寺へ行くのを諦め、国分寺薬師堂からふれあい橋、武蔵国分寺公園内の国内でも珍しい400メートルの円形広場を一周し、霧の噴水、中央鉄道学園記念の機関車の大きな動輪を見て国分寺へ。
記念写真後、武蔵国分寺資料館・お鷹の道(東京都の西、武蔵野の面影が残る辺りには、国分寺崖線(がいせん)と言われる、武蔵野台地を多摩川が浸蝕して出来上がった、30kmもの距離に及ぶ段丘があります。そして、国分寺崖線から流れ出た湧き水を水源として小川が生まれ、その小川沿いに遊歩道が作られています。江戸時代、国分寺付近は尾張徳川家のお鷹場だったことから、この遊歩道はお鷹の道と名付けられています。)、真姿の池湧水群へ。
昔はここで水汲みできたようだが現在は柵に仕切られており、これを目当てにしていた最長老のTさんが「折角ペットボトルを持って楽しみにしてたのに・・・・。」と残念そう。
そこから不動橋・石橋供養塔等(不動橋の北側に位置し、庚申塔は延享(1745年)に国分寺村の人々が建て、隣に天保3年(1832年)の記念銘のある石橋供養塔と、 建立年月日不明の不動明王碑があります。石橋供養塔は、常に人に踏まれている石橋を供養する意味と、石橋を渡って村内に疫病や災いが入り込むのを防ぐ意味がある と伝えられています。不動明王碑は、村内に疫病や災厄が入り込むのを防ぐ意味のためと伝えられており、小さな石碑ですが、今でも花や絵馬が飾られており、信仰の対象に もなっています)を経て殿ヶ谷戸庭園で本日のコース9.6km・2時間半を終了した。
今日の距離9.6kmは今までで最短距離、コース取りは少なくとも12kmくらいは必要かなと感じた。
昼飯時を過ぎていたので第2長老のHさん、操学OBのBさん、カントリーボーイのMさんと居酒屋が昼だけ定食を出している店に入る。約50席はほぼ満席でサラリーマンが定食を頬張っている。
喉も渇いていたので早速ホッピーを注文、定食を交えながら反省会を実施して本日のミッション完了!
(記事:ハイキング部長 藤川壽夫)